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自分とは違う、十人十色な人達と対話で理解を深め合える場所

『ヒューマン・ライブラリー』に「本」として貸し出されました

京都大学の授業に協力。ゲイとして人として、読者と交わす対話の時間

健茶(けん・ちゃ-)

半年ぶりに登場できました。ジモタツ神戸特派員、健茶(けん・ちゃ-)です。
皆さん、『ヒューマンライブラリー』という企画をご存じでしょうか?

僕は今回初めてこの名前を知りましたが、実は世界中で行われている試み。
その名の通り、様々なマイノリティーの方を「本」に見立て、一般の参加者は読者となり「本」を理解する。本を通じて対話することで、マイノリティーに対する理解を深めようというイベントです。

最近では、大学の授業の一環として開催されることも増えています。
そして僕は、京都大学で開催されたヒューマンライブラリーへ参加の機会を頂きました。

京都大学および参加者の皆さんにご協力をいただき、今回企画内容の一部をレポート。
掲載に承諾を頂いた、2組の「本」の内容もご紹介します。

世界中で開催されている企画「ヒューマンライブラリー」とは?

ヒューマンライブラリー(human library)は、障がい者や社会的マイノリティを抱える人に対する偏見を減らし、相互理解を深めることを目的とした試みです。

「様々なマイノリティーの方を本に見立てて貸し出す図書館」という意味で、「読者」である一般の参加者と、「本」であるマイノリティを持つ人とが、対話を通してお互いの理解を深めます。

2000年に1971年からデンマークのロスキレで開催されている大規模の野外ロック・フェスティバル『ロスキレ・フェスティバル』の一企画として行われたのが始まりで、以降、北欧や北米、オーストラリアなどでも開催されるようになり、現在、アジアでは日本以外にマレーシアやタイなどでも開催されています。

今回参加させていただいた京都大学だけではなく、明治大学や早稲田大学などでも同様のイベントを開催しています。京都大学では司書課程「図書館情報学特講I」の授業企画の一つとして、2015年から毎年開催されています。

これまでの企画では「学内の留学生」や「在日コリアンと日本人モスリムの方々」、「林業に関わる様々な立場の方々」が「本」として参加。

本年度は「セクシャルマイノリティ」を対象として、学生が主体となり、「本」として参加する人、「読者」として参加する人を集める過程で、以前記事にさせていただいた大阪レインボーフェスタ!実行委員へ相談があり、実行委員数名が今回の企画へ参加することになりました。

ヒューマンライブラリーは歴史ある古民家、「京都大学吉田泉殿」

ヒューマンライブラリーは住宅街に佇む古風なお屋敷でした

7/14(日)、僕と一緒に、当社の神戸ソリューションセンターのメンバーも同行してくれて、神戸から電車で2時間かけて京都大学へ到着。会場へ向かいます。

教室での開催をイメージしていましたが、会場は京都大学吉田キャンパスの敷地に隣接した、元は大学職員の官舎だった建物をキレイにリフォームした古民家。京都大学主催のイベント『智と知のサロン交流』『異文化・異分野間の交流・対話』などの活動に使われているそうです。

旅館の客室のような落ち着いた空間で開催
「本」となる人毎に個室に分かれて実施します

窓から見えるお庭もキレイに整備された日本庭園。

今回、「本」として企画に参加し、「貸出し」されたのは5組。「読者」の方は学生の方が多かった印象ですが、社会人や本として参加した方同様のセクシャルマイノリティの方も併せて、20名ほどが来場しました。

3回のセッションで「読者」は希望の「本」の部屋を巡って「読書」します。「本」の語る体験や想いを聞き、対話をすることで理解を深めていただきました。

今回は特別に掲載に承諾を頂けた、2組の「本」の内容をご紹介します。

【一冊目】『ゲイカップル けんさんとしょうさんのはなし』

開催中は撮影禁止のため、開催イメージの再現風景となります

~ けんさんのはなし ~

小さいころから「男の子らしい男の子」ではありませんでした。

欲しがるおもちゃはロボットやミニ四駆ではなく、魔法少女のステッキ、シルバニアファミリー、親戚の女の子と服を取り換えてスカートをはいて遊びに行ったこともありました。

変わった子、半分女の子など、親からも言われてましたが、「変わってる」事は自分では好意的な言葉として受け止めていたように思います。

違う家に育っていたら「男の子らしく」とか「女の子用だからダメ」とか自分の指向を否定的に、禁止されていたかもしれませんが、僕の母親は肯定的に僕を受け止めてくれていたと思います。母も「変わった人」だったと思います。

小学生の頃、自宅リビングの壁には母の若いころのヌード写真パネルが飾られていて、僕にとっては日常そこにあるものでしたが、遊びにきた友達は時々フリーズして言葉を失ってました。

多分半世紀くらい前

母は戦後に日本に駐留していた外国人の父親と日本人の母親の間に生まれました。
戦後生まれの混血児の事をGIベビーというそうです。当時は偏見も強かったようで「娼婦の子」のようなことも頻繁に言われていたと聞いています。

母もマイノリティとして生きてきたはずが、人と違う外見を活かした仕事に就いていました。

本人はもう亡くなったので、詳しい話を聞く事はできませんが、マイノリティである事を前向きにとらえていたのではないかな?と。そんな母だからこそ僕の「変わっている」ところも受け入れてくれたのかもしれません。

中学生になって男性の先輩を好きになりました。その時は、「簡単に告白もできないし、これは大変かも・・・」と少し考えましたが、すぐに周囲の友達にも「あの人が好き!」って言ってました。僕の転校がきまり、告白をして返事は聞かずに逃げ帰りました。

高校生の頃にはインターネットも身近になり、初めて「ゲイコミュニティ」と接点を持ち、彼氏もできました。学校でもカミングアウト、親兄弟親戚へもカミングアウト、家族親戚一同は「やっぱり!」っていう反応で、意を決してカミングアウトした割に軽かった印象です。

今の会社に入ってもカミングアウト、社外の取引先にも好意的な方が多く、嫌な思いをする事もなく、不自由は感じていませんでしたので、「LGBTの尊厳を求める!」ような活動があるのは知ってましたが特に必要性を感じていませんでした。

社内で自分のことをオープンにしていると、「実は私も…」とこっそり僕にだけカミングアウトをしてくれる人が時々いました。

実際には社内にももっとたくさんのセクシャルマイノリティがいるけど、自分のことをオープンにできているのはマイノリティの中でも更にマイノリティなんだと感じました。

オープンに「したい」、「したくない」は人それぞれですが、「言いたいけど言えない」、「言えば楽になる」という人が、気構えずにカミングアウトができる環境、雰囲気にはなって欲しいと思っています。

自分がこうして語ることで「特殊な人たち」ではなく、身近で当たり前な存在と捉えてくれる人が増えると、雰囲気はもっと変わっていくのかな?と手さぐりながら今は考えています。

~ しょうさんのはなし ~

幼い頃に両親が離婚をして母と妹と3人の家で育ちました。
母が仕事で不在な事も多かったので、長男の自分が妹の面倒もみて、家族を支えていかなくてはいけない、という思いは強かったかもしれません。

大学生の頃に長く付き合って、結婚も意識した彼女がいました。
同時に男性にも関心がある自分に気づいて、ゲイバーにも行くようになり、そこで初めて彼氏もできました。「ふたまた」ですね。

自分を偽ったまま、配偶者にも偽ったまま、結婚をしている知り合いもいます。自分も女性と結婚をする事が世間的には自然で、親も安心させられると考えました。
しかし、こんな状態は「誰も幸せにしない」と考えて、彼女とは別れました。
彼女とは今でも会えば一緒に飲みにも行ける友人です。

その後、社会人になってからも恋愛対象は男性でしたが、職場、家族にカミングアウトはしていません。「まだ結婚しないのか?」と家でも職場でも言われていましたが適当にやり過ごしてきました。

けんと出会って、共通の知り合いも増えて、こうした企画にも参加して、「偽りない自分」でいられる空間の快適さは実感するようになりました。

カミングアウトについて時々考えますが、職場ならカミングアウト後、仮にネガティブな反応で居づらい場所になったとしても、職場を変えれば済むだけかもしれません。

しかし「家族」は他に代わりがなく、自分は長男なので最後まで親の面倒を見なくてはならないという思いもあります。親戚付き合いが濃い家なので、カミングアウト後、自分1人だけでなく家族が親戚の中で居心地の悪い思いをする可能性も考えると、自分の思いだけでカミングアウトはできない・・・と今は思っています。

【二冊目】 『あっちゃんのはなし』

撮影禁止のため、あっちゃんにも後日、再現イメージ画像をご提供いただきました

~ あっちゃんのはなし ~

小さい頃からスカートをはくのが嫌いで、女の子のおもちゃには全く興味がありませんでした。その頃から自分の性別に対して違和感のようなものを感じていたと思います。

制服のスカートについては、私服のように自分で選んだものではなく、これを着ないと学校に行けないからと割り切ってはいていました。

思春期に入ってから性別への違和感はどんどん強くなり、自分は女なのか男なのか、一体自分は何者なのかと悩み苦しむことが多くなりました。それと同時期くらいに、ドラマ「金八先生」で上戸彩が性同一性障害の生徒役で出演している回をみて、「自分は性同一性障害なんだ」と感じました。

そこから、性同一性障害の治療への思いが膨らむも、高校生の自分ではどうすることもできず、悶々とした日々を送り、精神的に不安定な時期が続きました。振り返るとあの頃は僕の暗黒時代でした。

そんな暗黒時代に初めて「自分は性同一性障害である」ということを、その当時一番仲の良かった友達にカミングアウトしました。カミングアウトをしようと思ったのは、恋愛話などの時に友達に嘘をつかないといけないことがとても心苦しく、本当の自分を知ってほしいという思いからです。カミングアウトはとても勇気がいりました。なぜなら、その友達とのこれまでの関係が崩れてしまうことがとても怖かったからです。

カミングアウトの結果、心配していた様な反応はなく、「やっぱりそうやったんやね。打ち明けてくれてありがとう。」とすんなり受け入れてくれて、暗黒時代を切り抜けるきっかけになりました。そんな友人は今海外で働いていますが、今でも連絡を取り合う仲の良い友人です。

周囲の親しい友達を中心に少しずつカミングアウトをしていきましたが、家族へのカミングアウトはなかなか勇気が出ないまま成人になりました。

そんなある時、当時付き合っていた彼女から別れを告げられて、「やっぱり本物の男じゃないから、中途半端な人間だから嫌われたんだ」と自暴自棄になって、負のオーラ全開で落ち込んでいました。そんな様子に気づいた父親が声をかけてきたので、別れの辛さで何も考えずに彼女にフラれたことと、僕は性同一性障害で今まで言えずにいて苦しかったということを思いのまま泣きながら父親に伝えました。

娘からの突然のカミングアウトにも関わらず、父親は目に涙を滲ませながら僕を抱きしめて、「今まで辛かったな。ごめんな。ごめんな。」と、カミングアウトを受け止めてくれました。幸いなことに、父親の友人の中にはLGBTの人がいて、偏見などは持っていなかったので、性同一性障害という言葉にもすぐ理解してくれたのだと思います。

その後、父が今回のことを母と兄姉、祖父母にも伝えてくれて、全員カミングアウトを受け入れてくれました。とは言え、20数年の時間、娘として育ててきた子が、実は男として生きたいと言われて複雑であったと思います。それを一切顔に出さず、カミングアウト前と変わらずにいてくれたことにとても感謝しています。

今、付き合って10年ほどになるパートナーがいます。
きっかけは勤務先に派遣社員として働いていた彼女と親しくなり、カミングアウトをしてから付き合い始めました。

当時会社にはカミングアウトをしておらず、僕は女性として働いていました。治療についての情報も集めてはいましたが行動には移せていませんでした。そんな状況を知っていた彼女からは「情報ばっか集めて頭でっかちになりすぎちゃう?後先のことは気にせずにやってみたらええやん!」っと背中を押してくれて、男性ホルモン投与の治療を始めました。

しかし、ホルモン投与を始めると1か月くらいで声が変わり始めます。
会社にはまだ何も伝えていなかったので「声どうしたの?」って聞かれても「風邪で…」とごまかしてましたが、男性として生活するためにも言わないワケにはいかず、カミングアウトを兼ねて上司に相談をしました。上司からは労いの言葉と、仕事での関連先に対してカミングアウトをどうしていくかを前向きに考えてくれました。

その上司の計らいにより、所属部署約50人に対してカミングアウトする発表の場を与えてもらい、「性同一性障害とは」という内容と自身が当事者であること、今日からは男性社員として働くという意思を伝えました。発表後、部署の方からの偏見もなく、逆に激励のお言葉も頂いて、本当に感謝しかないです。

今は男子トイレの利用もできるようになり、特に弊害もなく過ごしています。強いて挙げるなら、たまに健康診断の案内で女性向けの内容が届くくらいですね。

現在は胸の摘出手術も終えて、戸籍上名前は変えましたが、性別は女性のままです。改名前の名前は、画数を考えて父親が付けてくれた名前だったので、改名後の名前も父親にお願いして、画数も変わらない名前を考えてくれました。

戸籍の性別を変えるためにはもっと色々な条件があり、卵巣摘出の手術も必要になります。それには費用も膨大にかかるのと、健康上の問題も出てきてしまいます。
パートナーと話し合って、少しでも永く一緒に健康的に暮らしたいという思いから、これ以上の手術はせず、戸籍も女性のままでいようという結論にいたりました。

戸籍の性別を変えなくても日常生活は男性として生きているし、幸いなことに周囲にも恵まれているので十分幸せです。

女性として生まれましたが、それも含めたすべてが今の僕を形作った大切なものになっています。

「読者」の感想 ~参加した当社神戸センター社員に聞いた~

終了後は全参加者が広間に集まって、各自の感想や気付きなどを共有しました。
今回はその中の、神戸センターから参加した社員の皆さんの感想をご紹介したいと思います。

Q.参加前に想像していた内容とギャップなどありましたか?

LGBTについて知識としては知ってても、真剣に考える場面はなかった。当事者の実体験には感情移入できる部分も多くて、話を聞いて、真剣に向き合える時間が持てた。
今まで周囲にいた当事者は、オープンにしている人達だったので、カミングアウトに葛藤があるなんて考えてもいなかった。カミングアウトに強い抵抗を感じる人もいて、カミングアウトできていない当事者が実際には相当数いる事が想像できた。

Q.複数の「本」の方のはなしを聞いて、印象的だったのはどんな内容でしたか?

しょうちゃんのはなし。今までゲイとしてオープンにしてる部分しか知らなかった。
会社とか家とか私の知らないところで苦労している事を知った。
同世代の女性、たまたま恋をした相手が元女性だった。出会いをきっかけにマイノリティ支援の団体を立ち上げて、人のためにそこまでできることが尊敬できた。

夢の国、テーマパークでもトイレは男女に分かれてて、女性トイレは使いたくないけど、誰でもトイレは障害のある人で行列、トイレにいけない事で、夢の国でも性別の壁という現実を突きつけられて、日常当たり前に過ごしている中でも当事者には多くの困難がある事を知った。
トランスジェンダーの方が「恋愛と性は別。『恋愛って素敵なもの!』って、まとめられるのが嫌」と話したのが印象的だった。バツイチ・シングルマザーの私は子どもとの時間を一番大事にしてるけど、「もっと恋愛もしなきゃ!」と合コンのセッティングとか紹介など、世話を焼いてくる人もいて、「自分の価値感が標準で他人も同じ」という前提で話をされるのは確かにストレス。共感できた。

Q.ご自身の行動や考えや小さな事でも、何か変化はありそうでしょうか?

望む性別、自分らしい生き方を得るための努力、苦労を重ねている人達がいる事を実感した。わたしは女性に生まれて、生まれ持った性別を疑問もなく受け入れたけど、女性である事の努力はもっと行うべきだと感じた。
以前管理しているチームにいたFTM男性(Female to Male)、なんの配慮もできていなかったと改めて感じた。社内でどちらのトイレを使っているのかも疑問にも思わなかった。
触れてはいけない事のように感じていたし、どう接して良いかも分からず無知だった。
今後は問題解決はできなくても、配慮、気にかけてあげることはできると思う。

Q.また参加してみたいですか?知り合いの方にも参加をお勧めしますか?

勧める。ニュースなどで他人事として知ってはいても、当事者と対話することで知識を理解に変えることができると思うので。
身近に当事者がいれば関心も持てる。関わりのない話だと思ってる人は知らない事が多すぎるのでぜひ参加してもらいたい。
聞いた内容を友達に話したらみんな興味持ってたので機会あれば絶対におススメ!
後日、主催の京大生の皆さんからお手紙を頂きました

いかがでしたか?

実際に参加をしてみると、ここには書ききれないほど、話は盛りだくさんでした。
LGBTとカテゴライズされる人たちもそれぞれ悩みは千差万別です。

知識として知っている事も、当事者と「対話」をすることで「理解」を深めることができる事を実体験できました。

自分とは違う、十人十色の人達と対話で理解を深め合える場所。
もっとたくさんの人にも聞いてほしいと思えたので、機会があればぜひ皆さんもご参加ください。

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