スペシャル ベルシステム24 ワークスタイル
らしく生きる マイワーク×マイライフ Vol.2

「なにかあったら言ってね」に支えられて23年勤務。家族の時間もキャリアもあきらめない

介護と育児と仕事を両立する、下飯坂さん

スミ

こんにちは、なかのひと、スミです。

ベルシステム24(以下、「当社」「ベル」)には、いろんな背景や才能、資格を持った、多様な人たちが働いています。

そんな多様な仲間たちの存在を知ってほしい。
自分らしい生き方や得意なことを最大限に尊重し、社内の制度を活用しながら、仕事でもプライベートでも活躍されているユニークな人たち。
また、その人たちを通して、当社が多様性を受け入れ、多様な働き方ができることを伝えたい。なぜなら、聴覚障がいを持つ私もまた、自分が活きるデザインの仕事で、チャットなどのコミュニケーション上の工夫・サポートをしてもらいながら、自分なりの働き方をさせてもらえている当事者だから。

そんなことを思い、ユニークな社員を紹介するポスターを作り、社内でも展開を続けています。

第1回目はこちら

らしく生きる マイワーク×マイライフ Vol.1 前編
歌手とラジオDJ歴20年。仕事も夢も家族との時間も大事に生きていくベテランスーパーバイザー
https://www.jimotatsu.com/special/j1/myworkmylife-vol1-part1.html

今回ご紹介するのは、2人のお子さんの育児をしながら長年当社に勤めるシングルマザー、下飯坂雅子さん。
お子さんは全介助を要する重度障がいを持つため、短時間勤務かつ在宅勤務で活躍されています。
専門スキルを身につけ、キャリアアップされた今もなお、自分のために新たな資格取得に努めている方です。

タッシー田代

紹介社員No.2

下飯坂 雅子シモイイザカ マサコ

  • 勤続年数:通算23年

2人の娘を持つシングルマザー。次女は要介護の重度身体障がいがあり、在宅勤務をしながら、介護と育児を両立している。趣味は、海外旅行と海外ドラマ鑑賞、語学習得。座右の銘は、「なんとかなるさ」。

勤務年表
1999年 旅行関連の仕事を探していたら、ベルの旅行予約受付業務を見つけて入社
2002年 業務終了に伴い退職したが、再入社して採用関連業務を担当することに
2010年 オフィス移転で継続を迷うも、通勤圏内の職場を紹介され異動。旅行サイトの運用に携わる
2018年 父親の認知症をきっかけに一度は退職を決意。しかし上司が勤務可能な職場を紹介してくれて異動
2019年 上司の勧めで在宅勤務に切り替え。さらに短時間勤務型の社員に昇格

子どもの介護をしながらの勤務をスタート

障がいを持つお子さんの介護をしながら23年働き続けている下飯坂さん
スミ

下飯坂さんが当社で働き始めたきっかけを教えてください。

下飯坂

海外(中米グアテマラ)に住んでいましたが、次女の出産に合わせて帰国。出産後、生計を立てていくために仕事を探し始めました。もともと旅行業に興味があり、以前は旅行会社に勤務していたこともあって、旅行関連の仕事を探していました。すると、ベルの旅行予約受付コールセンターの求人広告を発見。さっそく応募し、入社に至りました。研修期間が約3カ月間と長く、柔軟な受け入れ体制だったため、子どもを産んだばかりの私に合っていました。

スミ

入社後はどのような仕事に携わりましたか?

下飯坂

旅行予約受付のコミュニケーター(以下、CM)として働き始め、その後はリーダー(以下、LD)も務めさせていただきました。ところが3年後、クライアント撤退のため、その業務が終了となったのです。

その後、当時の上司に「採用関連の業務を担当してみないか」とお声がけいただき、週4日勤務で採用関連業務や派遣コーディネーター補佐を担当しました。しかし8年後、勤務していたオフィスが移転することに…。
「自宅から新オフィスへの勤務は遠いなぁ」と迷っていたところ、採用担当者から「近くにいい仕事がありますよ」と通勤圏内の業務を紹介いただいたのです。しかもその仕事は、私が希望していた旅行関連の業務でした。

スミ

下飯坂さんはお子さんの介護をしながら仕事をされていますが、ご自宅から通いやすい職場を紹介してくれた方は、その事情を知っていたのですか?

下飯坂

いえ、実はまったく知らずに紹介してくださいました。私の子どもは生まれてすぐに脳性四肢麻痺という重い障がいを持ったため、全介助が必要な状況です。シングルマザーとなってからは私が大黒柱として働かなくてはならず、両親に子どもの介護サポートをお願いしていました。

しかし、当時は、そのような事情を一部にしか公表していませんでした。
というのも、週4日程度の勤務だったので、休みの日に子どもの用事を済ませることができ、あえてプライベートをオープンにしなくても他の方と同じように勤務ができていました。また、特別扱いしてほしくないという思いもありましたね。

入社後約10年間は「子どもを介護している事情はあえて公表していませんでした」(下飯坂さん)

父の認知症発症をきっかけに、家庭の事情を公表

ご自身の背景をオープンに語ってくださったインタビュー(左はインタビュアーのスミ)
スミ

ご家庭の事情を会社に伝えることになったときのことを教えてください。

下飯坂

新しい職場は、旅行サイトの運用に携わる仕事で、それまで以上にやりがいを感じていました。子どもも成長して丈夫になり、週5日勤務が可能になりました。そのままずっとその仕事に携わりたかったのですが、父が認知症を発症したのです。

父の介護のほうが子どもの介護よりも大変でした。父が「行方不明になった」「ケガをした」などの連絡が入るようになり、仕事よりも家族を優先しなくてはならない状況に陥りました。

こうした事情を上司は理解してくださり、「何かあったら言ってください」と声をかけてくれました。
ですが、私自身、業務を引き継ぐ余裕もなくなり、周りに迷惑をかけないために公表することにしたのです。
同僚の皆さんに伝えると、上司同様に「大変なときは言ってください」と受け止めてくださいました。

スミ

そのとき、ご自身のキャリア面など不安になることはなかったのですか?

下飯坂

公表したとはいえ、皆さんに迷惑をかけたくなかったですし、週5日の勤務に適応できるか非常に不安でした。当時は現場の管理者でしたが、キャリアは諦めても介護を中心としたライフスタイルを優先したいと思いましたね。

そこで、短時間勤務や少日数での勤務を上司に相談して一緒に模索したのですが、当時は良い案が見つからず、「解決策がないなら退職しようかな」と考え、上司にその意思を伝えたのです。

すると、当時の本部長が「下飯坂さんのキャリアも両立させるのが会社の努め。辞めるのはもったいないですから、別の業務を担当しませんか」と声をかけてくださったのです。そうして、現在のクラウドサービスの導入支援の部署に勤務することになりました。

スミ

そのような事情があったのですね。現在はどのようなお仕事をされていますか?

下飯坂

今までそのクラウドサービスをまったく使ったことがなかったのですが、ゲーム感覚に近く、とても使いやすいため、ハマっています。他の業務でも役に立つと思い、「本格的に推進する役割を」と自ら手を上げて担当させてもらっています。

コロナ禍以前から「在宅勤務」という選択肢がベルにはあった

2019年から在宅勤務という働き方を選択した下飯坂さん
スミ

現在はどのような働き方ですか?

下飯坂

2019 年秋から在宅勤務を続けています。介護で時間のやりくりに苦心していたときに、当時の上司から「在宅勤務にしたらどう?」とおっしゃっていただいたのです。そういう働き方の選択ができることを知り、それまで抱えていた悩みがスーッと取れた感じがしました。

現在は、子どもが施設から帰宅する17時頃に合わせて、9時から17時の時短勤務を行っています。
コロナ禍以前からこのような働き方をさせていただいたのと同時に、新たな人事制度が導入されてすぐに短時間勤務型社員へ変更させていただき、大変ありがたかったですね。

スミ

介護と仕事を両立するにあたり、工夫していることやストレス発散法などを教えてください。

下飯坂

ストレスを溜め込まないよう、年に数回、レスパイト・ケア(※)を利用して、介護と仕事を忘れるほど体も心もオフにできるようにしています。コロナ前は、そのサービスを活用して、一人でふらっと国内外を旅するなど、思いっきり心身をオフにしてリフレッシュするようにしていました。

※レスパイト・ケア:在宅で障がい者や高齢者などを介護している家族に、支援者が介護を一時的に代替してリフレッシュしてもらうサービス。2000年に施行された介護保険法では、短期入所生活介護や短期入所療養介護という形でショートステイの給付が規定されている。

スミ

ご家族や上司・同僚の皆さんは、どのように支えてくださっていますか?

下飯坂

上司も同僚の皆さんも私を気遣い、「何か支援が必要であれば言ってくださいね」とおっしゃってくださっています。それだけで支えになっていますし、気兼ねなく仕事ができています。

一方、家族ですが、現在社会人の長女は、次女の入浴や医療ケアなどを行ってくれています。昔から、おむつ替えや顔を拭くことなどを手伝ってくれていましたが、体全体や医療的な支援は難しいので、以前は見ているだけでした。今はそうしたこともしてくれているので、助かっています。長女がいない時は母を頼っていますね。

スミ

ご家族は、ベルで働くことについて何かおっしゃっていますか?

下飯坂

たま~にですが、疲れて「辞めたい…」とポロっと言ってしまうと、母は「ベルを辞めてはダメ。こんなにいい会社はないよ」と諭してくれます(笑)。長女も社会人で、お互いの会社の話をすると、ベルの制度の良いところ、私が受けている恵まれた面に気づかされます。社内でも、私の背景や働き方を知って、「こんな風に働けるベルって最高だね」と声をかけてくださった方がいますね。

「コロナ前は年に数回、国の制度を利用して旅に出かけ、ストレスを解消していました」と下飯坂さん

ベルには自分の居場所がある、多様に働ける

ベルでのキャリアとお子さんの介護を両立し、自分らしく生きる下飯坂さん
スミ

下飯坂さんは時短勤務でありながらキャリアアップし、積極的に資格も取得されていますが、その理由と今後のキャリアプランを教えてください。

下飯坂

働き始めた当初から、「家族の支援が受けられなくなったら、40~50歳頃にはオフィスに出勤できなくなるだろう…」という漠然とした焦りがありました。そこで、在宅勤務ができるスキルを身につけようという目標を持ちました。

まず、在宅で働ける仕事にはどのようなものがあり、どのような資格が必要かを調べ、翻訳やWeb制作など興味を持った資格をいろいろと学びました。社内で取得できる資格も取得しました。今はコロナ禍で世の中の状況がガラリと変わり、さまざまな仕事が在宅勤務可能となりましたが、ベルではコロナ禍以前から在宅勤務が選択できたのでありがたかったですね。このまま在宅でも仕事を続けていけるよう精進していきたいと思っています。

スミ

ベルの人事制度について思うところや希望があれば教えてください。

下飯坂

人事制度が新しくなって、よりさまざまな働き方ができるようになったな、とうれしく思いましたね。最近では時間給型の勤務形態でも半休が取れるようになり大満足です。また、テレワークの選択もより拡大されて、求めている人には大変刺さっていると思います。
私は再入社してから20年になりますが、永年勤続ももう少し!長く続けてきてよかったですね。

スミ

ベルのイントラサイトでも、下飯坂さんのこれまでのキャリアや働き方が紹介されましたね。反響はいかがでしたか?

下飯坂

ベルは長年働いてきて好きなところがたくさんあるので、少しでも恩返しできればと思い、イントラサイトの取材を受けました。記事が配信されていろいろな方からメールやチャットを頂きましたよ。
「やっぱりベルっていいですよね」という方やキャリアアップを目指している方、子育てと仕事の両立が大変だと思っている方からは「勇気をもらいました」というメッセージを頂きました。それぞれの立場の方から感想を頂けて、私自身勇気づけられましたね。

スミ

「ベルの好きなところ」「ベルらしさ」とは、どんなところだと思いますか?

下飯坂

どこかに自分の居場所がある。これは素晴らしいことだと思います。
そんなベルの寛容さは、長年働いていてひしひしと感じています。ベルらしさは一言でいうと「人の多様性」ですね。さまざまな年齢や考え方の人が集まって、大きなセンターを運営している。柔軟な会社ですよね。

スミ

最後に読者の皆さまにメッセージをお願いします。

下飯坂

私の場合は介護ですが、それ以外にも子育て・学業・他の仕事との両立や、病気で苦しんでいる方など、さまざまな背景を持った方が大勢いると思います。そうした個々人の背景に、少しでも思いを馳せるだけで、理解や許容が生まれると思います。また、人は少し話を聞いてもらえるだけで救われることがたくさんあるでしょう。
ぜひ周りの方に対して、優しい一言をかけていただけたらと願っています。

スミ

本日はありがとうございました。


いかがでしたか。

緊急事態宣言が明けた後、下飯坂さんとご家族にお会いする機会がありました。
娘さんはその障害から言語理解が難しく、表情もあまり出せなかったそうですが、「在宅になって話しかけることが増えたら、表情で返してくれるようになった」とのこと。私がお会いした時もお母さんへの笑顔返しが垣間見られて、ほっこりしました。

一方で、娘さんを乗せると約50kgになる車いすを押して移動する姿や、毎日の介助ルーチン等を知り、その大変さも伝わりました。そうしたなかで、今もなお、将来に備えての資格取得にも努めている下飯坂さん。育児や介護が大変なときに、働き方やキャリアとの両立について共に向き合ってくれたご家族や上司、同僚の皆さん。多様な働き方を検討できるように人事制度を改良していく当社や、介護をする側の心身をケアする自治体や施設の制度など。下飯坂さんの努力とご縁によって、「らしく生きる」今の様子を多角的に見られた気がします。

私にとっても、とてもステキなご縁でした。 今後も、そうしたステキな人たちを紹介していきますので、ご期待ください。

スミ

インタビュアー

スミ

重度の聴覚障害を持ち、美大から日本画作家を経て、2004年ベルシステム24にデザイナーとして就職、今に至る。
インタビューは、離れたところからも会話が文字で共有される音声認識アプリを使用して実施。

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